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DC-141 Jay Graydon 「Jay Graydon Works」

2011年09月04日 02:08

jaygraydonworks.jpg



多くの音楽専門誌、インターネット上の音楽情報サイト、WESTCOAST/AORだけに限らず、多ジャンルの音楽愛好家の間から長年に渡って熱烈な称賛と喝采と浴びて注目され続けてきた。築きあげてきた一つのWestcoast/AORスタイルと十八番トレードマークであるハーモナイズド・ギターソロはもはや語り尽くされてきたであろう2011年現在においても、未だ世界中に多くのファンと支持者・フォロワーを集め続ける一人のミュージシャンがいる。Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)だ。

この作品はギターリストだけでなく、トータル・マルチ・ミュージシャンとしてのJay Graydon(ジェイ・グレイドン)の数々の代表的な楽曲を厳選して、1枚のディスクに収めるやや強行的な作品集となっているが、これだけ長く様々な顔を持つJay Graydon(ジェイ・グレイドン)の仕事集としてはやや不足感が否めないが、初めてJay Graydon(ジェイ・グレイドン)を知る者にとっては格好の1枚となっているといえよう。

Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)はアメリカ・ロサンゼルスを拠点に1960年代から音楽活動を続けてきた人物である。Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)の本業はあくまでギターリストであるが、彼のミュージシャンとしての守備範囲は広範囲に渡り、ソングライター、レコーディング・エンジニア、シンガー、プロデューサー、アレンジャーなどトータル・マルチ・ミュージシャンとしても様々な顔を持つ。特にレコーディング・エンジニアとプロデューサーとしての能力の高さには定評があり、12回のグラミー・ノミネート実績と"Producer of the Year"と "Best Engineered Recording"の受賞歴を持つ。しかし彼のこのような華々しいミュージシャンシップ・タイトル以上に多く語られるのは、ギターリストとしてのJay Graydon(ジェイ・グレイドン)の顔である。ここではそんなJay Graydon(ジェイ・グレイドン)の音楽の道程を簡単に振り返ってみたい。

Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)は1949年10月8日アメリカ・カリフォルニア・バーバンクに生まれ、多くの優秀なミュージシャンと同様に音楽家庭環境で育った。当時TVやラジオ番組を持ちながら、シンガーソングライターでもあったJoe Graydon(ジョー・グレイドン)を父に持ち、兄弟のGary Graydon(ゲイリー・グレイドン)はプロではないながらもギターを演奏する音楽一家。1960年代初頭、Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)の興味が初めに興味を示したのは楽器ではなくエレクトロニクスだった。父のラジオ番組のエンジニアを担当するようになり、そこで多くのオーディオ技術に関する知識を実践で学んできたという。

ギターを手に取ったのは14歳の頃だったが、すぐに自分がミュージシャンになることを確信したという。 ジュニア・ハイスクール時代、学生時代の仲間Dennis Kelly(デニス・ケリー) Joe Lopez(ジョー・ロペズ)、Bob Carrafield(ボブ・カーフィールド)らとバンドを結成し、POP/R&Bそしてサーフミュージックなどを演奏していた。実は初めはドラムを担当していたが、リハーサルの前日バンド仲間が自分の家に置き忘れていったギターを一晩かけていじくり回して、自分はギターをやるべきだとその時悟ったのだという。

その後、トランボーン・プレイヤーだったGlenn Farris(グレン・ファリス)の紹介で、当時、実験的なフュージョンン・ジャズ・スタイルを持っていたDon Ellis(ドン・エリス)のビッグバンドに参加する。そこでの演奏を観ていた現在でも最高のスタジオミュージシャン/ギターDean Parks(ディーン・パークス)がJay Graydon(ジェイ・グレイドン)を絶賛し、演数多くのセッションに推薦するようになっていった。

セッションギターリストの仕事は用意されたどんな難解なフレーズの楽譜も即座に平然と弾きこなす技術を提供することを生業とすることは理解できる。しかし提示された楽譜を楽譜通りに正確に演奏するだけではL.A.の一流のプロのセッションマンとしては不十分で、自身のギター奏法によって、提供された曲にどれだけ多くの発展と展開、そして曲のポテンシャルを上げて引き出すことができるかが求められることは容易に想像できることでもある。次々と世界中から集まる敏腕ギターリストが現われては消えていく音楽シーンにおいて、真の意味でセッションミュージシャンに求められる能力は精密な演奏技術ではなく、基本となる楽譜からどれだけ多種多様なフレージングやメロディー、アレンジを引き出すことができるか、そしてそれをどのようにしてレコーディングするのかに至るまで、作曲に至るプロセスにおいて、あらゆる角度からそれをアドバイスができるか。セッションマンとしてどれだけアイデアの宝庫であるかということが求められるのではないか。その引き出しの数が多ければ多いほど、道具としての演奏家から何時しかトータル・ミュージックアドバイザーとして進化し、ミュージシャンとしての地位と評判が確立されていくのだと考えば、作詞/作曲/編曲能力に長け、サウンド・エレクトロニクスに明るいJay Graydon(ジェイ・グレイドン)がファーストコール・ギターリストとして重宝されながら、その後プロデューサー業へと進出していく過程は、至極当然の成り行きであったのではないかと思えてくる。

そういう意味ではSteely Dan(スティーリー・ダン)の『AJA』に収録された楽曲"peg"におけるエピソードも合点がいく気がしてくる。音楽創作活動に一切の妥協と譲歩を許さず、アイデアの宝庫としてのセッション・ミュージシャンを巧みに使い、一つの楽曲に対しあらゆる可能性を引き出したいと考えていたSteely Dan(スティーリー・ダン)のミュージシャンシップは、1970年代当時から現代に至るまで業界随一とも目されていた。彼らはセッション・ミュージシャンに予算・製作費を初めから度外視した破格の懸賞金を用意し、彼らが用意したベースとなる楽曲をあらゆる角度で彼らに自由に調理させる実験を繰り返していた。"peg"という楽曲のギターソロの創作に煮詰まっていた彼らは、世界でも指折りのセッション・ギターリストらを一人一人スタジオに招いた。挑戦者が6人か7人目を終えた頃にやってきたJay Graydon(ジェイ・グレイドン)は、その場で奇妙でユニークなポリネシアン・ギターソロを弾きこなし、一瞬で懸賞金を持ち去ったという。この作品集にその"peg"が収録されていないのは、Steely Dan(スティーリー・ダン)が楽曲使用許諾を下さなかっただけのことだが、この有名なエピソードはJay Graydon(ジェイ・グレイドン)のギタリストの資質として語られることが多いが、実はJay Graydon(ジェイ・グレイドン)のアレンジャーとしての資質の高さを如実に物語ったものと解釈したい。

Barbara Streisand(バーブラ・ストライザント), Diana Ross(ダイアナ・ロス), The Jackson Five(ジャクソンファイブ), Ray Charles(レイ・チャールズ), Cher(シェール), Joe Cocker(ジョー・コッカー), Marvin Gaye(マーヴィン・ゲイ), Hall & Oates(ホール&オーツ), Olivia Newton-John(オリビア・ニュートンジョン), Albert King(アルバート・キング)・・・等の大小問わず膨大な数のアルバムに参加し、セッション数は週に20以上を超える多忙を極めた。ギター・スペシャリストとしてJay Graydon(ジェイ・グレイドン)だったが、徐々にセッションプレイヤーから自らの作曲創作活動へと活動の重心をシフトさせ始めるようになる。

頃同じくしてセッションプレイヤーとして頭角を現していた一人の天才キーボーディストがいた。もちろんその人物とは、ご存じ若き日のDavid Foster(デヴィッド・フォスター)だった。ジャズシンガーのMaxine Weldon(マキシン・ウェルドン)のクラブ・ギグで演奏していたJay Graydon(ジェイ・グレイドン)に共感したDavid Foster(デヴィッド・フォスター)は自ら歩みより、当時率いていたバンド:SKYLARK(スカイラーク)に呼び寄せるため数日後にはセッションを始めるようになったという。音楽的感性の共通点と才能に対して互いに共感を覚えたJay Graydon(ジェイ・グレイドン)とDavid Foster(デヴィッド・フォスター)の2人は短期間におびただしい数の曲を創作し、そして多くの名曲が生まれた。その中でもっとも有名な曲の一つが"After the Love Has Gone" だったといえるだろう。

この曲はちょうどBill Champlin(ビル・チャンプリン)のソロアルバムをプロデュースしていたDavid Foster(デヴィッド・フォスター)がBill Champlin(ビル・チャンプリン)のソロアルバムのためにJay Graydon(ジェイ・グレイドン)と3人で生み出した名曲だった。この曲に関して、David Foster(デヴィッド・フォスター)とJay Graydon(ジェイ・グレイドン)は曲の全体をわずか1時間程度で完成させたという。そこにBill Champlin(ビル・チャンプリン)が歌詞を加え、その場でソロアルバム用にレコーディングが行われた。このときBill Champlin(ビル・チャンプリン)リードボーカルによる"After the Love Has Gone" は3つの異なるバージョンが存在するという。

しかし、David Foster(デヴィッド・フォスター)はEarth, Wind & Fire (アース・ウィンド&ファイヤー)のアルバム『I am』のために統帥 Maurice White (モーリス・ホワイト)と並行して曲を書いていて、そこで秘蔵の曲だった"After the Love Has Gone" のデモを披露してしまう。Maurice White (モーリス・ホワイト)に曲の譲渡を懇願されたDavid Foster(デヴィッド・フォスター)は断りきれず、この難しい問題をJay Graydon(ジェイ・グレイドン)に相談する。結果、Bill Champlin(ビル・チャンプリン)への説得役を任されることになったようだが、この曲のポテンシャルの高さを理解していたBill Champlin(ビル・チャンプリン)はソロ・アルバムへの収録は見送ることを快諾したという逸話が残っている。人によってはトラブルになってもおかしくないような話だけれども、生粋のミュージシャンで気心を知れた親友である彼らの間柄では曲の提供は日常茶飯事で珍しい話でもないのか、綺麗事なのかもしれないが、とにかくミュージシャンとしての余裕と懐の広さのようなものがここから感じられる気がする。結果、Earth, Wind & Fire (アース・ウィンド&ファイヤー)の"After the Love Has Gone" は全米ビルボード2位、グラミー賞で最優秀R&B楽曲賞のタイトルを獲得した。当然彼らにも膨大なマネーが転がり込んできたことは推して知るべしである。なお、Bill Champlin(ビル・チャンプリン)のボーカル・バージョンによる"After the Love Has(Is) Gone" はJay Graydon(ジェイ・グレイドン)のソロアルバム『Airplay for the planet』の中で新録として聴くことができる。

Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)はDavid Foster(デヴィッド・フォスター)との制作活動からバンドとしてデビューすることを勧められAirplay(エアプレイ)を結成した。1980年に発表されたAirplay(エアプレイ)の邦題『ロマンティック』は、WESTCOAST/AORのバイブルとして絶大なる人気と評価を博し、25周年/30周年を記念して音質を向上させたリマスター版やBlu-spec 仕様のCDとして今だ幾度も復刻される不屈の名盤として語り継がれている。このAirplay(エアプレイ)がわずか1枚で終わってしまったのは残念なことであるが、クオリティーに反して、商業的には不発終わったこと、そして彼ら二人のプロデュース業が多忙を極めてしまったことが最大の要因だったことを考えれば致し方ないのかもしれない。Airplay(エアプレイ)では、前述の"After the Love Has Gone" を歌詞を一部変更して"After the Love is Gone"としてセルフカバーも聴くことができる。

Airplay(エアプレイ)結成前後からJay Graydon(ジェイ・グレイドン)はプロデュース業を本格化させ、1970年後半から1980年半ばまで、Marc Jordan(マーク・ジョーダン)や、PAGES(ペイジス)、George Benson(ジョージ・ベンソン)、The Manhattan Transfer(マンハッタン・トランスファー)、 Al Jarreau(アル・ジャロウ),Dionne Werwick(ディオンヌ・ワーウィック), Herbie Hancock(ハービー・ハンコック),Kenny Rogers(ケニー・ロジャース)、Debarge(デバージ)らのアルバムをプロデュースし、グラミー賞のタイトルも勝ち取り、そのすべてがWESTCOAST/AORの名盤として評価されるているのは周知の通りである。制作してきた音楽カテゴリーはジャズ、カントリー、R&B、SOUL、ロック、ポップスと幅広く音楽的守備範囲とユニークなアイデアがあればこその芸当だったと今にして思う。

Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)の音楽プロダクションは極めて緻密に計算された構築音楽であって、音楽研究所と化したスタジオに引きこもり、一つ一つの音を丹念に細かく細分化し、探究に探究を重ねる完璧主義・ハードワークというのは有名な話である。Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)はインタビューの中でプロデューサーとして自分の役割はどのようなものであったかという質問対しこのように述べている。音楽的にそのアーティストがどんなものであるのか知ること。そして、彼らのコアなファンが求めているものを大きく外すことなく、アーティストのレベルをステップアップさせ、より大きなセールスとファンに満足感を与える続けること。Al Jarreau(アル・ジャロウ)の作品で、トータルジャズからPOP/R&B/Adult contemporaryのカテゴリーへと引き込むことができた。

80年代が終わりを迎える頃Jay Graydon(ジェイ・グレイドン)はプロデューサーとしての仕事量を減し、休息をとるかのようにマイペースに仕事をするようになる。徐々にソロ・プロジェクト・ワークに舵を切り始め、1990年にClif Magness(クリフ・マグネス)、Glen Ballad(グレン・バラード)らと共に、Planet3(プラネット3)なるプロジェクトを立ち上げアルバム『A Heart From The Big Machine 』を発表する。そして初のソロ名義作品『Airplay for the planet』を発表し、日本・北欧でファンにとっては感涙のソロライブを2度敢行する。このときの模様は、2007年になってようやく『Jay Graydon All Stars Live in Japan 1994.1.19』(ジェイ・グレイドン・オールスターズ・ライヴ)としてリリースされ、ファンと必帯のアイテムとなっている。

その後、気心の知れたミュージシャンメンバーDean Parks (ディーン・パークス), Steve Lukather (スティーヴ・ルカサー), David Hungate (デヴィッド・ハンゲイト) ,Joseph Williams (ジョセフ・ウィリアムス), Jason Scheff (ジェイソン・シェフ)らを集めて陽気なベンチャーズスタイルのサーフ・ミュージックバンドRAKE and the Surftones(レイク・アンド・サーブストーン)を結成しアルバム『Surfers Drive Woodies』を発表して驚かせた。 そして、2001年になり2作目のソロ名義は完全なインスツルメンタル・ジャズアルバム『Bebop』を発表し完全な4ビートジャズをサラリとやってのけ、これがグラミーにノミネートされる。本人は本気なのだろうが、昔からのWestcoast/AORのファンはお遊びはこれで打ち止めにしてくれないかと内心思っている人は多かったに違いない。1990年代以降は完全にソロ活動に専念するようになったJay Graydon(ジェイ・グレイドン)は自身のレーベル Sonic Thrust Records(ソニック・トラス・レコーズ)を立ち上げ、過去の作品やお蔵入りしていたデモトラックなどを次々と発表した。そして2008年待望の新録アルバムをシンガーRandy Goodrum(ランディ・グッドラム)との新ユニットJaR(ジャー)を立ち上げ1stアルバム『Scene29』を発表し、目下セカンド・アルバムを制作中とのことできたが高まるばかりである。


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コメント

  1. norally | URL | -

    そういえば。

    デヴィッド・フォスター来日らしいですねぇ。

  2. z.m. | URL | -

    フォスター来日しますね。
    エアプレイの曲やってくれるかどうか。。
    平日なもので実はまだ迷っているんですよ。

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