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DC-128 Steve Winwood 「Back in the Highlife」

2011年03月06日 00:22

steve winwood



そよ風が気持ちよく駆け抜けていく晴れた小春日和の休日。比較的大きな川の土手沿いを歩いて散歩しながら空を眺めた時に感じた爽快感と心地よさ。わずか数秒の出来事なのだけれども、日常の喧騒の時間の流れの中でまれに遭遇できる穏やかで平和な時間に似た感覚が、このSteve Winwood(スティーヴ・ウィンウッド)の名盤「Back in the Highlife」にはあると感じでいた。

その感覚とは例えば、「Back In the High Life Again」から「The Finer Things」の流れの中にあるそれである。「Back In the High Life Again」のゆっくりと進む雄大なキーボードとバンジョーのような弦楽器によって生まれる牧歌的な空間は、聴き手に懐かしい思い出と郷愁感を運んでくれる。過去から現在までの記憶の道程が一本の線で結ばれると、それが平和な生き心地となって、不思議と胸の内から沸き立ってくる。ライトでポジティヴなメロディとキャッチーなリズムネーション郷愁感を誘うハモンドオルガンとテナーヴォイスが掛け合うようにうまくマッチングした名曲中の名曲「The Finer Things」へと続く。

Steve Winwood(スティーヴ・ウィンウッド)の50年近くにも及ぶ音楽経歴は長いが、ざっと振り返ってみる。イギリス・バーミンガムで生まれたSteve Winwood(スティーヴ・ウィンウッド)は、父親の影響から、初めはスィングジャズに興味を持っていたそうだが、ピアノやドラムス、ギターなどを演奏し、8歳の頃に兄Muff Winwood(マフ・ウィンウッド)と共にバンドで演奏をしていた。1960年代に小学生で、すでにB.B King(B.Bキング)などの大物ブルースミュージシャンのイギリス公演のライブのバックでB-3ハモンドオルガンやギターを演奏する技術とRay Charles(レイ・チャールズ)とも比較される美声を持つ才覚者だった彼は、当然天才と言われた。

その後、Steve Winwood(スティーヴ・ウィンウッド)と兄 Muff Winwood(マフ・ウィンウッド)と共に結成した the Spencer Davis Group(スペンサー・デイヴィス・グループ)のボーカルを任され、名曲"Keep On Running"を瞬く間にヒット(全米1位)させ、さらに"Gimme Some Loving" and "I'm a Man"のヒットを発表してグループを去る。"Gimme Some Loving" における「タタタタ・タン! タタタタ・タン!」というあの強烈なファンキーグルーヴと愉快なリズムの前では、誰もが体を揺すられずに居られないことだろう。元はHomer Banks(ホーマー・バンクス)が1967年にヒットさせた"(Ain't That) A Lot of Love"という曲のリフが基礎となっている曲で、これをSteve Winwood(スティーヴ・ウィンウッド)が"Gimme Some Loving"としてスタンダード化させた。必殺のメロディ。ロックンロールの名曲中の名曲といえる。多くのミュージシャンにカバーされるが最も有名なのはThe Blues Brothers(ブルース・ブラザーズ)によるバージョンかもしれない。

その後、1964年にTraffic(トラフィック)を結成。Steve Winwood(スティーブ・ウィンウッド), Jim Capaldi(ジム・カパルディ), Chris Wood(クリス・ウッド) 、Dave Mason(デイヴ・メイソン)による4人編成で、Eric Clapton(エリック・クラプトン)らとBlind Faith(ブラインド・フェイス)を結成するまでの間活動を続ける。Blind Faith(ブラインド・フェイス)はEric Clapton(エリック・クラプトン)の早期脱退してしまうが、Traffic(トラフィック)のメンバーなどを集めて音楽活動を続けて、満を持して1977年に自身のソロデビュー作「Steve Winwood」(1977)を発表する。この作品はSteve Winwood(スティーブ・ウィンウッド)のBlue Eyed Soul(ブルーアイドソウル)な持ち味とブルースが十二分に発揮された名作で、これを彼の最高傑作に上げる音楽愛好家も多数いる。時代はポップ全盛期の80年代へ突入し、Steve Winwood(スティーブ・ウィンウッド)の音楽性に変化が見られデジタルを多用するプロダクションへと変化をしていくことことになった。「Arc of a Diver」(1980) ,「Talking Back to the Night」(1982)の2作品は、Steve Winwood(スティーブ・ウィンウッド)一人によるワンマン・プロダクションで、すべての楽器を自身の演奏で賄って、マルチプレイヤーの才覚を発揮した。

4年のインターバルを経て発表されたのが、本作「Back In the High Life 」だった。ワンマンプロダクションの2作と対照的で、名プロデューサーRuss Titelman (ラス・タイトルマン)、 Chaka Khan(チャカ・カーン)、James Taylor(ジェイムス・テイラー)など多くのゲストミュージシャンを招集して作られた本作は、躍動感とポジティブで明瞭な輝き持ったレコードに仕上がっていて、Steve Winwood(スティーブ・ウィンウッド)が名実共に音楽的にも精神的にも最高潮に達したときだったといえる。

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